【DQN】森長可【鬼武蔵】

【DQN】森長可【鬼武蔵】
1:【スレ主】00:46
というか森家のスレがなかったので

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①【DQN】森長可【鬼武蔵】

7:svQv/dUr 01:13
一向宗も一枚岩じゃ無いからな。
つーか美濃、尾張の一向宗は信長に付いてるし。
8:wNw9gzd 12:07
畳の上で死ねたのは可行と忠政ぐらいしかいないってのがなんともw
9:YzrtN8xY 02:13
忠政の愛馬、八段ってただの駄馬じゃね?
118:sy1no0qQ 09:38
忠政は本能寺の変の数ヶ月前に不祥事起こして家に返されたんだっけ
ほんと悪運強いなw
119:ZwJqhkNp 09:52
家に帰されるほどの不祥事って何したの?
120:qILhMgUr 09:56
信長の目の前で同僚を扇子で殴打した。
121:cWV/Hi7W 09:56
自分をからかった人を、マジ切れして殴り付けた。
信長も苦笑。
122:g9fnneno 10:16
まあ、まだ12歳だったしな。
123:OlOEeBF 23:41
DQNの血が薄いんかな、鬼武蔵だったらその歳でも扇子で半殺しにしそうなw
129:0hDaMHjt 22:55
>>123
磔による処刑を日本一愛した男、森忠政をあまり舐めないほうがいい

特に意味無く磔したりする辺りそういうのを見て楽しむ嗜好があったと思えなくも無い。

130:MtFb6qMi 23:26
長可は好きだけど忠政はなんとなく好きになれない
131:ESa2AQ9 01:20
蘭丸の悪い逸話から感じられる嫌味な気質と長可の攻撃性をハイブリットしたような忠政

それでいて八方美人。

133:qHSY249a 13:44
攻撃的で嫌味で世渡り上手とか近寄りたくもないわw
134:ESa2AQ9 18:31
不思議と当時の記録だと誰にも悪く書かれてないんだよな、忠政w

目の前で豊家をクソミソに貶された後の石田三成ぐらいしか居ない。

135:cTivbBpl 22:05
なんというか、森家の人達って何か不思議。
キャラ立ち過ぎというか、変な違和感がある。
136:99P10Ul3 00:51
不思議と時の権力者から愛される資質がある
同僚からは嫌われても
137:3NbmY2nt 02:54
小牧・長久手に各務、林、伴抜きで出たのはどういうつもりだったんだろう。

彼ら抜きで関成政と遠藤慶隆の兵と混成でようやく数を揃えたといった感じだったがこれじゃ勝てんぜ。
羽黒では統率がgdgdになって負けたのもいくらかこれが原因だろう。
伴の甲賀衆も呼ばないから情報戦でも後手後手だったし。

138:sCAs2lIw 03:07
>>137
織田徳川による一揆扇動の可能性が高かったからな。
地元にしっかりした人間と軍隊を置かざるをえなかった。

まあそういう心配をしないといけない長可の統治が(ry

139:buWA70iC 09:30
一気に拡大してるからしょうがない面もあるとは思う
141:3NbmY2nt 18:40
でも、近江の甲賀に領地がある伴には関係ないからやっぱり呼べばよかったとおもうんだよね。

領地で留守番させとく意味が無い。金山に出仕始めたの忠政の代からだし。

143:S64ivuT4 14:41
美濃金山城って見るべき場所ある?
151:YC790hnj 01:27
>>143
実家が兼山の近くなんだけど、石垣、土塁などはそこそこ残ってるので、そういうのが好きな人は季節がいい時期に訪ねてみるのもいいかもね。

ところで、最近うちの爺さんが死んで、葬式で実家に帰って親戚一同集まったのだが、誰がどこのつながりで・・・なんて田舎のややこしい血縁関係を確認するために、家計図引っ張り出してきたら、どうやらおいらの先祖は長可に仕えていたらしい。

ご先祖は小牧長久手の後に森家を辞して帰農したんだそうな。
「大将が死んじまったら、敵をヒャッハーするのもつまんなくなったぜ。今度は荒れ地をヒャッハーしてやるか」
てなノリだったんだろうな。たぶん。

145:CDiylwzD 15:33
武蔵野両国統治ってどうだったん?
本人の武将としての個性が強すぎて政治家としての側面が見えん
146:ELIBPbB2 18:26
美濃
・金山城の増築
・金山城下の区分け整備、店の移転
・魚・塩の専売制の導入
・六斎市の開催
・領内の不要な城の破却、廃城

信濃
・領内の村人を海津城下へ住ませ、人口増加を狙う。(後に人質に)
・従った信濃国衆の家族の海津城在住を義務付け(後に人質に)
・信濃国衆の領地安堵の判断

ついでに本能寺後の清洲会議の後に秀吉は「詳細は長可に説明を受けるように」と織田家の諸氏への説明役をやってる。
政務面でも蘭丸に劣る所は一切無い。

147:jPxIPtqo 23:50
>>146
性格がどうしようもなくアレだっただけなのかな?
148:YrFS9/K 00:05
ちょっとくらいアレじゃないと生き残れないのでは?
中部地方は、死のグループだし。
150:NlTMtKLB 01:17
長可が実務に対して優秀な軍官僚だったことは間違いないな。性格はアレだが。
153:6pekxzpN 16:16
森家が後世になって「猛将鬼武蔵 森長可」「津山藩の基礎を築いた男 森忠政」じゃなくて蘭丸をキャンペーンした理由が何となく最近分かった。

彼らは埋もれてた方がいい。森家の風評の為にも。

154:Gk7ap0wp 16:19
まあその蘭丸も逸話の中では、美少年で優秀だけど君側の奸、って感じに捉えられているんだけどねw
155:1CHpbDLI 01:17
悲劇の美男小姓 森蘭丸

持て囃した甲斐あってそこそこ有名人になれたな。
ついでに頭のネジが飛んでたり磔マニアだったりの兄弟の影が薄くなってまさに計画通り。

156:mXB0WINM 01:21
長可兄さんの代はみんな過激だけど、その下の世代は影が薄い気がする。
157:1CHpbDLI 02:04
忠政は不祥事を隠蔽する事によって影を薄めてる
161:dvgst/dB 18:36
忠政の性格の歪み具合半端ないなw

可成が死ぬ数ヶ月前の子供だから実質、父親代わりは鬼武蔵だよね。

162:yVQKMfQn 19:04
そんな兄にも遺書にしつこく絶対跡継ぐなよと書かれる忠政
163:dvgst/dB 22:04
外交スキルは素晴らしいものがあるので遺言どおり秀吉の直臣になってた方が名が売れたかも知れん。

でもこいつは側近として重用してはいけないタイプ。

164:WIrEApEM 22:28
信長が忠政を親元に帰したのは実は奴のドス黒い性質を見抜いたからだったりして
165:Yk3jZDMM 00:16
忠政は末弟という事で他の兄弟と違って養子に出されそうになったり一時的に僧籍に入れられたりしてるのでそれで歪んだかもしれない。
166:jk7rrn6Y 00:42
今の森家の末裔は何してるんでしょうか?
167:Yk3jZDMM 01:02
嫡流という意味では忠政、忠広親子の死で途絶えたよ。

可成の弟の家系が凄まじい増殖ぶりだからそっちは余裕で残ってるけど。

168:y3EU38hg 23:11
森家が江戸に入って発狂で取り潰されたのも何かの業のような気がするが池田家・細川家・前田家の取り成しで宗家復活が成ったのもまた巡り巡った縁。
169:lUGWGA5U 23:48
森家
信長時代から仕えた?
尾張時代の織田家の譜代で森家より大切にされた家は他に何処がありますか?
丹羽や前田、佐々、水野?

森家ってそんなに名家(大身)ではないよね?

171:ndtY0c8 00:13
>>169
譜代じゃないよ。坂井、金森、蜂屋と同じ美濃からの移籍組。
172:9WlferjZ 01:16
はぁ、譜代ではないのはわかります。
金森さん家とか美濃勢って斎藤家によって追い出され組or寝返り組なのでしょうかね?

何故に森家はノブちゃんに大切にされたのかつら?

173:vAxVDjDC 10:55
>>172
有能だったのと、長可が早くから信忠の親衛隊長的な役割をしていて、織田家の将来的に必要な家だった。
174:ndtY0c8 18:31
あとまぁ、信忠配下の若手の中ではいち早く内政で成果挙げてたからな、長可。

ここら辺が他より早く領地加増が早かった要因だろ。

178:9XA0x35z 16:19
信長・信忠に忠実だったのはわかるが権力が秀吉に移行した際は素直に恭順したんですかね?

遺言の時点では内容から秀吉に忠実なんだろうなとはなんとなくおもいましたけど。

179:rczTMb9I 17:16
秀吉と言うより、舅の池田恒興についていった感じかなあ?
恒興は信長の乳兄弟だし。それに正当性を感じていたっぽい。

その上で、小牧長久手の頃には、本能寺後自力で拡大した勢力を公認してもらうためにも、ともかくも、秀吉を旧織田勢力の盟主として仰いでいたことは間違いない。

180:CUsksDR7 19:00
忠実だったというよりかは遜った書き方をして戦後の森家に便宜をはかって貰いたかったんじゃないかね。

相変わらず秀吉の命令無いのに勝手に羽黒に出たりとかしてるけど特に叱責やら処罰が下せないあたり何か微妙な関係だったんだと思う。
まぁ結局、東美濃の領地は拡大前の金山7万石まで戻されるんだけども。

181:YmzsVT30 01:45
忠政は領地削られた事を16年間ずっと忘れずに根に持ってましたw
182:4pJbEAt/ 02:23
武士のあり方としては実に正しいw
176:CUsksDR7 03:25
地味に茶人
184:D7pVqOK0 19:32
>>176
静かに茶を飲んでる兄貴が想像できないが茶会では大人しくしてたのかな
185:wmHE739K 20:05
>>184
利休の侘び茶の完成以前の茶は、酒食の出る一種の宴会だと考えたほうがいい。
186:qE4RkEk 20:26
可成、長可、忠政はみんな茶に興味を示してるな。
188:M49Lmrp 19:49
長可は逸話で人気が出てきたような気がするが忠政の人気が上がった気配が無い。

何故だろう?

189:Kzi8g2eU 20:28
長可→戦場で華々しく散る。

忠政→腐った桃を喰って死ぬ。

あまりにも対照的w

190:g/3JFsqI 22:29
長可は間違いなく悪辣な人間だが、その悪辣な事をしてもいいわけもなく後悔もない一種の潔さがあるが、忠政は同じく悪辣な人間ながら、自分を良く見せようとする小癪さがあるからな。
191:seriTlK 22:39
あの遺書のせいもあるのかな
192:M49Lmrp 23:34
忠政は外交においては天才だったと思うが内政能力は天災レベル

領民が泣いてる。

193:7Jfxttid 06:07
ifな話だけど長可が小牧長久手で戦死しなかったとしたらどうなっていたかな?

処世術に長けた感じには感じないし無謀な突撃癖があったからどっちみちどこかで戦死かもしれんが…

194:/PL57dEK 09:16
義父の池田恒興が生きてれば安泰
豊臣治世でもかなりの地位が約束されたはず
一説では三法師の外戚だって話もあるし
196:yCO26qBn 13:33
森忠政なんて川中島四郡を来るべき対徳川戦対策で奉行連署して加封したのにもらったとたんに徳川方に付いたからなあ
そのへんの見切りは相当凄いよ
石田三成も激怒したそうだし
197:m8TGoYf 16:27
1598年の時点で向島に駆け込んで家康に頭下げて信任を得つつ得意の隠滅工作で豊臣家の警戒をかいくぐってる。

こういう政治工作に非常に長けてるから長可が生きてれば上手い事噛み合ったかも?

202:13FAkmRU 23:46
長可は信長が若手武将の中でも特に抜擢していた人物だ。
性格はともかく、織田家の中でもかなり優秀な武将だったことは間違いない。
204:2p6VoedQ 22:54
可成の嫡男可隆が長生きしてたら長可も少しは大人しくしてたかな?
あの長可、忠政の兄貴だから可隆も相当の曲者になっていただろう。
207:3pdTQpzl 00:20
この人側室とか子供っていたっけ?
209:JwsH44NR 00:30
>>207
側室はいたかもしれんが記録には残ってない。
子供はおそらくいなかった。
212:YyAzOM6y 18:00
「金山は要衝ゆえに信頼できる人間にお任せください」とかも書いてるけどこれも金山から追い出されないようにする為の書き回しなんだろうか。
213:FZuyiOmG 22:30
忠政をよそへ転封させるには加増が必要だから、遠回しに加増の要求をしているのではないか?
214:YyAzOM6y 22:43
それは無いと思う。

金山って今でこそ寂れてるが当時は物流の交差点みたいな所でかなり旨味のある土地。
忠政も久々利の窯で作られた美濃焼を河港経由で尾張に売りさばいて儲けてた。
ぶっちゃけ川中島移転後の方が金欠。

220:CIbv1ed6 02:59
>>214
兼山は、中仙道からも離れ、JR、名鉄も通わない辺鄙な町だが、木曽川がすぐ近くを流れる。木曽川の水運は江戸時代までは重要な役割を果たしていた。そのターミナルとして兼山は重要な役割を果たしていた。
現在では、兼山より少し下流の可児市から犬山までのライン下りぐらいしかないが、戦前までは木曽川の川遊びはかなり有名だったらしい。名鉄広見線の可児川駅はむかしライン遊園駅という名で、田圃しかない場所が何故遊園なのか不思議だった。
戦争中に川遊びをする余裕がなくなり、その後車社会になって川が忘れられた、ということらしい。
215:LaEyzXHz 02:18
金欠という事で金を掻き集めるために「右近検地」で無理やり5万石以上増やして搾り取った忠政。

でもこのやり口、後年で問題になるんよ。
津山藩の改易直前の石高が3万3000石分地して減ってるはずなのに26万石にまで膨れ上がってしまってる。(元は18万6500石)
金が欲しくなると基準を弄った検地で石高を水増しするという安易な手段に走る悪しき伝統を作ってしまったので右近検地はある意味、森家の「負の遺産」。

216:LGAis/2H 04:32
忠政はずいぶんと領民を処刑したようだな。
小姓も早々とクビになったし長可の遺書はガチで継がせたくなかったんじゃないかと思えてきたw
217:LTy3NCo3 01:47
一般的には森忠政って名君のカテゴリーに入るみたいね。
219:AQ59sVYD 02:25
>>217
信濃領主時代のやりたい放題っぷりは擁護のしようも無いが美作行ってからはそこそこ仕事してる。

河港を使う事にこだわって吉井川の工事から始めたり津山、林田辺りの商人優遇策は何となく兼山を髣髴とさせる街づくり。
そう考えると兄貴は政務に関していい発想出したと思う。

あとは兼山から商魂逞しい連中がツテを頼って美作へと流れ込んで商人街がまんま出来た。
お陰で未だにこれにちなんだ「津山市美濃町」なんて場違いな名前が付いております。

218:csLr8sf 02:01
島津忠恒だって名君に入れようと思えば入っちゃうからなあ。

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